【講演録】「日本のメーカーがアフリカの子供たちの命を救った」水野 達男(マラリア・ノーモア・ジャパン専務理事)(第1回GEI有志会)

3月25日(金)夜、マラリア・ノーモア・ジャパン専務理事兼事務局長の水野達男さんをゲストスピーカーに招いた第1回GEI有志会が開催されました。当日は様々な業種や企業の人々が集い、水野さんのアフリカでオリセット®ネットを普及させるまでの苦労に熱心に耳を傾けた後に、後半では「現地のビジネスを成功させるポイントは何か」「アフリカを中心とした新興国が今後発展していくためには何が大事なのか」など、幅広いテーマで対話が行われ、あっという間に2時間が過ぎていきました。当日の活発な対話の雰囲気を少しでもお伝えできればと思い以下にレポートします。

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■マラリアとは・・
マラリアは「ハマダラカ」という蚊が媒介する、主に熱帯で発生する感染症です。マラリア患者を吸血することによりマラリア原虫を体内に取り込んだ蚊が健康な人を吸血する際に、蚊の唾液腺に居る原虫を健康な人に送り込むことで感染を引き起こします。2013年には、世界で年間約2億人がマラリアを発症し、約50万人が死に至ります(「World Malaria Report」)。死亡の90%がサハラ以南のアフリカで発生し、犠牲者の多くは5歳以下の子供たちです。
MDGs(ミレニアム開発目標)において「HIV/エイズ、マラリア及びその他の疾病の蔓延防止」が策定されて以来、マラリアによる死亡率は2000年から2012年の間に、世界全体で42%低下し、推定330万人がマラリアによる死を回避しました。そして2015年からのSDGs(持続可能な開発目標)においても「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」という表現でマラリアによる死亡者が0になることを目標に活動が継続されています。

■最初は気乗りがしなかった「オリセット®ネット」の収益事業化
水野さんが住友化学に入社した当時、マラリアは世界レベルで取り組むべき課題と注目されていました。2005年の世界経済フォーラムでは、「アフリカでは防虫蚊帳が行き渡っていないために毎月数万人が無くなっている」という報告に聞いた女優シャロン・ストーンが突然立ち上がり寄付を呼び掛けた結果、ものの数分で100万ドルが集まったという逸話もあります。それもあって、マラリア対策の防虫蚊帳は、住友化学の社内でも、CSR事業の枠を超えて全社注目プロジェクトになっていました。
そんな中、「アフリカに合弁工場を作るのを機に、防虫蚊帳を収益事業に転換しよう」という話が社内で持ち上がりその責任者として水野さんに白羽の矢が立ったのです。
水野さんは上司から最初に言われた時「なんで自分がやらないといけないんだ?」というのが正直な気持ちだったそうです。しかし、全社の注目が集まるプロジェクトで役員から直々に打診を受けたので、役員のメンツを潰すわけにもいかないと思い「これも何かの巡り合わせに違いない」と自分を納得させ水野さんはアフリカでの事業に携わりました。

■文化が異なる現地の人々と格闘する日々
異動した当初、まずは従来技術供与だけの関係だったパートナー企業の状況を知るため、タンザニア北東部の工場まで出向きました。そして、品質管理のずさんさに「これはえらいとこに来てしまった」と水野さんは頭を抱えたそうです。その上、日本の品質管理のレベルについて伝えても先方は「TIA(This is Africa)=これがアフリカのやり方なんだ」と主張を譲らない。
口でいくら言っても伝わらず平行線が長いあいだ続きましたが、アジアの工場との品質の差が明確に顕在化した際、水野さんは折り鶴を使って説明することを思いつきました。折り紙はアフリカにはないものなので、まず興味を持つに違いない。そして、折り鶴をつくるのは十数回紙を折ればできる決して難しい作業ではないものの、折る時に少しでもずれていると綺麗に出来上がらないということが目に見えてわかる。だから、この体験をしてもらうことで品質管理という概念の理解と各々のプロセスの重要性を理解してもらえるのではないかと考えたのです。その思惑は見事に当たり、工場長をはじめとした幹部、スーパー・バイザーの意識を変えることに成功しました。その後、それが、やがて工員にも浸透していったのだと考えています。
品質管理以外にも、節約の概念、労働自体の概念の浸透をこのような初歩的なやり取りを幾度も経て、水野さんはついに競争力のあるアフリカの合弁工場の品質向上とコストダウン、2011年には、ISO9001を取得する所までこぎつけました。

■現地で感じた「オリセット®ネット」の確かな手ごたえ

仕事の中では想定外の出来事が日々が絶えないものの、一方で、現地で色々と聞くオリセット®ネットに対する評判には日々勇気づけられたと水野さんは言います。特に現地の医師から、
「以前に他の防虫蚊帳を配布した時には半年ごとに薬剤に液を漬けないといけない等管理が面倒で使われなくなってしまった。けれども、オリセット®ネットを配布してからはマラリア患者が大幅に減った。」
という話を聞いた瞬間は世界的に注目されている病気を減らすことに確実に役立っていることの手ごたえを実感できたそうです。

■過労によるドクターストップを宣告された日
工場を無事に立ち上げた後もトラブルの連続で、販売計画も思い通りには行かず700万張の在庫が積みあがった時に、水野さんの身体はついに悲鳴を上げました。日本にいた時に急に下半身に力が入らなくなってしまい、おかしいと思って病院で医師に診断してもらった結果は「鬱病:うつ状態」でした。
最初は「この大変な時期に1週間も休めない」と水野さんは仕事を続けたものの、医師から休むように強く諭されて結局は40日間休むことになりました。この期間、自分でも、サラリーマン生活もこれで終わりか?とか、妻からも『仕事を辞めたら?』と言われるくらいの危機的な状況だったそうです。それでも、休んでいる時に遠くアフリカで母親が子供を失って悲しみにくれていた時の光景が頭に蘇ってきて「ここであきらめたら逃げることになる」という想いからまた動き始めたのだと水野さんは言います。
また、休んでいる間仕事はどうしたのか、と会場から質問が出ましたが、その間も、住友化学のスタッフ、特に信頼できる仲間(熱心に口説いたスタッフ)数名、その人たちが中心となって仕事を代行してくれたそうです。ただ口説く際に、水野さんは一方的に自分の熱意を語るのではなく、相手の関心事とこの仕事がどのように関わっているかを説明して、後は相手がやりたいと言ってくるまで待ったそうで、仕事がうまく回ったポイントはその巻き込み方にもあると言えそうです。

■拡大を進める上で痛感したパートナー選びの重要性

休養期間が終わる頃、国際機関の方針変更により従来多くの防虫蚊帳を多く調達することになったとの連絡があり、在庫を抱えていた現状を一気に解消する追い風が吹きました。
これによって、在庫が解消し色々な機関から「もっと作ってくれ」というリクエストが多く出てきて、今度はナイジェリアに工場を立てることを計画します。
しかし、協力してくれるパートナーを探しても来るのは美味しい思いをしたいという考えで近づいてくる人ばかりで、目に叶う良い相手が見つからず、最終的にはナイジェリアではなく、タンザニアに第二工場を建てることになりました。水野さんはこの経験を通して、「大事なのは楽しい時だけでなく苦しい時も共にできるような人と一緒に仕事をすること。『誰と一緒にやるか」を決めることの重要性を痛感した。』と語ってくれました。
その後、工場の規模拡大・急速立ち上げがいつくかの課題はあったのもの、無事に経過し、事業が軌道に乗り、NPO法人ノーモア・マラリア・ジャパン立ち上げのタイミングで水野さんに事務局長の打診があった時には、「これは自分がやるしかないな」と2つ返事で引き受けて今に至っています。

■水野さんが大事にしている3つの価値観

最後に自分自身の経験を本にまとめる中で整理された、自分の核となる3つの価値観を説明してくださいました。
1つ目が「自分の可能性を信じる」。根拠は必要なく、時に失敗することはあっても「成功のために必要なステップ」と考えることで、自分を信じる力を強める。アフリカで在庫の山が積みあがってしまった時に乗り越えられたのも、信じる力があったからこそなんだと思います。
2つ目が「ユニークであれ」。原点は双子(兄)で比較されるのが嫌だったからということですが、オリセット®ネット事業でもいろんなところに出向き、現場を通じて自分しか知らないような情報を集める現場主義で東日本大震災の翌日もアフリカ出張に飛び立って妻から呆れられていたという話も伺い、そのような行動もユニークであることへのこだわりの強さがあるからこそ出来ることではないかと思いました。
3つ目が「仲間との信頼関係を大事にする」。一人で出来ることには限りがあり、自分の可能性やユニークさも仲間の支援があってこそ発揮できることその考えは水野さんが自身の体験について話す中でも何度も、パートナーや仲間というキーワードが出てきていたので本当に大事されているのだなと感じました。

参考:Malaria No More Japan(マラリア・ノーモア・ジャパン)
参考:住友化学のマラリアへの取り組み

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<事務局後記>
セッションの最後に「PDCAと言う言葉がよく使われるがPはPlan(計画)ではなくPassion(情熱)のPだと思う!」と情熱をもつことに大事さについて語られていたのが強く心に響きました。ソーシャル事業が立ち上がってから1年これからもっと多くの人に取り組みを知ってもらうためにPassionを持ち続けようと私も決意しました。(千葉 達也)